首都見物と、東京への思いの総括として

「気が済んだかい」

 

水曜(11/21)から月曜(11/26)にかけて首都へ遊びに行ったのは、僕が件のタスク*1の区切りを翌々日に控えながらも、卒業したサークルの同期がOBで帰ってきてた場に顔を出した際、意義深いバンドを組みながらそこそこ程度の付き合いだった者(以下、P)と東京で遊ぼうという話になったからだった。作業の追い込みで頭がハイになっていたのもあったし、首都には未だ色々な思いがあって、その場のノリで決めてしまった。

 

話のために個人情報を開示すると、僕は今年いっぱいは学生*2です。その気になれば平日も休める。
今年は就活で東京にも出たので、ほぼそれ以来の東京ということもあり、懐かしく思っていた。

 


余計なことを言えば、東京で就活していた当時 初めてツイッター経由の友達と直接会ってもいた。そのことで非常に浮かれていたし同時に就活で精神をゴリゴリ削られていたのもあって、かなり情緒は不安定だったと思う。結局その人とは後に絶縁となってしまい、ツイッターでも現実でもあからさまに荒れてしまったのは少し恥ずかしい思い出ながらも、パーソナリティなどの精神世界を詳しく理解する貴重な体験となった。

僕は故郷が限界集落のようなところで、まさに井の中の蛙だった。大学の所在地も相当田舎なのだが、当初は結構都会に感じてしまったほどで。昨年学会のために東京に行った時は、相当衝撃を受けたのだった。果てしなく続く街!街!街!どこまでも行ける気がした。


さてさて、件のタスクから一旦の解放を見、何も研究ができないというこの学生生活の悩みだったものが一気に取れてしまい、それは前述の人とのいざこざも含めた葛藤のようなものも全て吹っ飛ばしてしまった。実は福岡へ別の人に会いに行くということがあり、それで心は割と充電されていた。だから、旅行へ行くインセンティブを失ったようなもので、正直もういいかなとさえ思っていた。ここではないどこかへ逃げる必要がなくなっていたから。

最初の日

その日、研究室に顔を出して少し作業をしたのはなんとなく、世間体を気にせずにはいられない臆病者のなせる技だった。
最寄りのバス停から空の便を経るまでのプロセスはもう慣れたものになっていたから、ここでは感慨に浸ることもなかった。

予想はしていたけど、現地では案の定雨が降っていた。というのも、僕が自分の意志でよその土地に行くときは、大抵雨が降っている。それは就活で東京に来たときも福岡に遊びに行った時もそうだった。きらめく都会の灯りがよく映えてて、何かの暗示をかけられている気分。泊まったカプセルホテルの近所のコンビニに行くと店員が少し冷たかったので、都会は恐ろしいところじゃとナヨナヨしてしまった。これで気分はすっかり独り旅モード。見知らぬ土地での不安と期待が作り出す緊張こそが非日常感の源泉で、僕はまたすっかり催眠術にかかってしまったようだった。

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向こうに秋葉原を望む




木曜日

一人旅の時は、計画も何もないなら神社巡りをすることにしている。就活中のお礼参りとして再び参詣することを思いつき、手始めに品川あたりを巡った。
就活当時 品川神社の近くに宿泊した。近所の野沢屋という中華のランチを食べたのを思い出し、同じメニューを頼もうとしたら、そもそもランチは日替わりで、同じメニューを頼むことは出来なかった。そのことが物足りなく思えて、就活中別の日程で泊まったところも歩ける距離だったので、ついでに行ってみたりして。

そういえば東京タワーをみたことがなかったのを思い出し、行ってみるとその途上に大乗寺があった。家康公がここの勝守(かちまもり)のおかげで世を統べるまでになったのだと書かれていた。

仏教って、個人が自身の力で現実世界において執着を脱し、悟りによって仏(=目覚めた人)になる道だと理解している。大乗仏教では結局、悟れない人々を諸仏が救うという構図で、他の宗教と変わらない崇拝という構図になってしまったけども。現世の利益のために仏が使われる形になってしまったことは、非難はしないけど、個人的に初期仏教に興味があって多少精神が楽になった身としては、徳川の威光とか寺院の壮大さによってその理解が一般からは見えにくくなっていることに落涙してしまった。

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海外観光客が好きそうな風景



夜、時間があったので秋葉原をぐるっと見てみようかと、てくてく歩いて、学会の時に付き合いで行ったメイドカフェの前を通り過ぎた。あの時のメイド達はどうしているだろうと思った。可愛さを武器に商売するというのが僕の中では一番不思議な世界で。しかも、小さな空間で目一杯、メイド流?の可愛さを振りまくのがなんだか幻想のように思われた。それはニコ動が流行ってた頃にネットを駆け巡っていた"萌え"の残骸かもしれない。照れの残る新人さんや、キャラを確立してたクール系のお姉さん、仕事と割り切って慣れてそうな快活なリーダーっぽいポジションの人…。もうデ・ジ・キャラットの看板*3もない、ヲタクだとか萌えとかを聞かなくなって久しい現在ではそれらが泡沫の幻になる速度も速そうな心持がした。

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夜の神田明神 オリエンタル全開

 

金曜日

湯島にある阿吽という担々麺のお店を就活中に行ったのを思い出して、てくてく。やっぱ並ぶな〜と思っていたら、張り紙の「二人以上のお客様は、全員揃われてから並んでください。」というのを、なぜか頭がバグって「独りでくるな!!」と言われているのだと思い、衝動的に列を飛び出してしまった。
すぐ戻るのもきまりが悪くて、そのノリで浅草寺に行ったはいいが如何せん頭がバグっているので、ものの数分で戻ってきてしまった(無事に担々麺は食べることができた)。

近くの不忍池では、カップルがボートを漕いでいた。男が懸命にオールを動かしているのを、僕のそばを通りかかった別のカップルの女が、「やばいな、女の人は漕がなくていいんだね。」と呟いた。

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不忍のほとりで偲ぶ




この日から、Pの家に泊まることにしていた。2,3週間の間に足を挫いたらしく、ゆっくり歩くので自ずと話す時間も多かった。
彼は下戸なのに居酒屋に付き合ってくれたりして。ずっと他愛もない話をしながら、でも学生時代はこんなにお互い話さなかったはずで。
Pは不運にも交通事故に遭って就活を延期したのだけど、うまく"社会人"へ存在をスライドさせていた。だから仕事の話をたくさんしてくれたけど、愚痴とかじゃなく面白い話に変えて。やっぱり人とする話は楽しい方がいいよなとか当たり前のことを感じた。

藤原道長が「この世をば〜」で詠んだ満月の日からちょうど1000年だとか、あまり気にしなかった。


土曜日

そもそもの今回の旅のきっかけである、Pを含めた友達と遊ぶことにしていた当日だった。
お台場で「teamlab」というのをしていて、それはすごくキラキラしたプロジェクションマッピングだったり、光のアートだったりで、常時SFっぽいBGMが流れていた。ヴァンゲリスみたいな。

www.team-lab.com



僕は「暗闇でもしっかりセンシングできるセンサだ」「こんだけ高精細な映像処理できるの凄いな」などとメーカの視点に立ってしまった。僕はこういう仕事に就きたかったのを、その時はもう思い出さなくなっていた。

技術と芸術が融合したのは面白い。できないことができるようになるという工学的な意義を持った技術が、芸術を表現するための普遍的な道具になっていく進化が、ものすごく人間を人間たらしめることだと思っているから。
ただ、表現のために次元がどうとかの科学用語を並べ立てて雰囲気を出そうとしてるこじつけ解説パネルには冷めてしまった。

今回のメンツ、なんだか、正直サークルでパッとしていたかと言われたらそんなことはない3人で、お互いが密に仲よかったわけでもなく、会話もどこか下手だし。だけど、こんな感じだからこそ妙に楽しめたのはあった。巧くもない冗談を言い合って、大学時代の縁ではあるけど、その時代の懐古で終わるのではなくて、今新しく関係を更新していけてることが嬉しかった。

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お台場 キラキラしとるね



明日 文学フリマてのに行くんだ〜とPに話したら、そいつも「凄いなァ 何かできる、何かしようって気持ちがあって行動が伴うのは。俺もなんかしたいな〜」と言われた。「休みの日は外に出ないし」って発言にそれな!!と首がもげるほど頷いた。でもそいつが戯れに弾くギターは充分にコンテンツだった。

日曜日

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流通センターにて 靴流通センターじゃないよ


文学フリマに行くのは計画のうちになかったけども、相互フォローさんが売り子で出るということや、フォローしてる人が作品を出すとのことで、興味が出て行ってみた。
ツイッターの画面の向こうに人が存在するというのは、想像できない部分もあって。だから直接会ってお話できるのはいつまでも新鮮なんだろうなと思った。ありがとうございました。
同日開催されていたコミティアにも行こうかと思っていたのだけど、思いの外時間一杯になりそうなとこまで滞在していた。それくらいワクワクしたのだった。


Pの家に戻ると、やはりギターを弾いていた。「独りで楽器は飽きるね〜」と言いつつ、サークル時代に同期で流行った曲を弾いてくれたのがなんだか暖かかった。何か音楽すればいいのにって言いかけて、彼の生活に下手な形で水をさしたくないなって思って言葉を飲み込んだ。

月曜日

Pは出勤していった。東京の朝も肌寒いことが新鮮に感じられた。
京成上野駅からスカイライナーで成田へ戻っていくのが、「千と千尋」のあの最初と最後の、この世と異世界とを繋ぐ通り道だと思った。このまま行けば非日常を脱して日常が待っていると。
そういえば、就活中と盆に東京に来た時は、「次がある」と思っていたからそんなことは不思議と感じなかった。だからちゃんと今回は旅の終わるのを惜しむことができた。

空から降りて2時間後に帰宅した。福岡で遊んだ人がちょうど連絡してくれたことが、なんだか魂をしっかりと日常に繋ぎ止めてくれた気がした。





思ったのは


田舎者が言うのもおこがましいが、東京の夥しいビル群の雰囲気にも目が慣れてきたし、都会での生活という「俗」のことにも目が向くようになって、かなり東京を理想化していたのでは、と気づいた。日本の首都であり、一番のメトロポリス。そこでしかできない楽しいことや成長もあるはずで、それを否定しているわけではない。いまだにそこへの憧憬はある。ただ、凄い場所、凄い人たちに囲まれるだけで自動的にレベルアップするわけではない、ということに気づけた。文フリを目の当たりにするとね、そう思うわざるを得ないでしょ!!活動した内容が結実した、素敵な作品が並んでいる光景がただただ素晴らしかった。それは間違い無く手を動かしたものだった。

就活の時、やりがいとか志望動機とか、就活業者はそんなふわふわしたことをグイグイ推して来た。何が正解かもわからない世界でビクビクしながら他人に見定められるという、精神的に不安定になるイベントで現実感を見失った僕も予てからの夢を大いに語ったものだが。現実は商売のための人手集めに過ぎなかった。

Pにも話したのだけど、「何者かになりたい」を目標にやってしまうとそれって、際限ない欲望だから結局満足できない。まぁそれは、無限の向上心になるかもしれないけど、やってる活動が「なる」ための手段になってしまい、楽しむという本来の動機すらないゾンビは、副産物としての「何者か」を得るには値しないと思う。

ここではないどこかとか、無限の愛や安心などの承認が欲しいとか、何者かになりたいとか、そういう際限のないものを求め続けてもしんどいだけ。例えば「具体的にはどういうものですか、どの程度なら満足ですか」と問いかけてみればいい。きっと答えられない。

就活中に出会っていたツイッターの人との出来事も、もしかしたら東京への憧憬という側面もあったかもしれない。ツイッターで就活や研究のこと、そのほかいろいろ重なってメンをヘラヘラしていたところに、ここではないどこか、自分にはない何か、初めての深い承認、その類の「何者か」になれるんじゃないかっていう期待が少なからず関係性の上での調味料として感じられたのだと思う。
その人との関係は、結果としてはボロボロになって砕け散った。思うに、一つにはお互いが「他人で埋めるべきではない孔」を埋めようとしていたのだと思う。しかも、形がかみ合わなかったり、途方もなく大きすぎたり。だから絶たれた時には孔を埋めていた何かが、裂傷を作って孔をまた大きくしてしまった。
ショックで起き上がれないままネットで必死になって調べた類似の体験談には軒並み、「全て終わってから、運命が示し合わせたように"こういう理解"があることを知った」との旨が書かれており、専門書籍などを取り寄せることや上述の自己理解に転用することが精神的防衛機制の役割を果たしていった。



僕の中で東京は、テレビに最頻出する場所であり、バンドの人らが情感を込めてよくタイトルにして歌い上げてる場所であり、きっと凄いところ。それだけだったと思う。だから、そこで生活するイメージは、冷静になれば何にも思いつかなかった。夢のテーマパークが閉園する時の着ぐるみの所在を誰も気にしないのと同じで。
だから、Pのようにそこで生活したり、文フリみたいに活動してる人と直にコミュニケーションできて、東京は地続きの、現実の続きの場所なんだと感じることができた。

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就活で初めて東京に来た日の丸の内口 ブレードランナーみたいな幻想的な世界だった



「変えられるのは、今この瞬間の自分だけ。過去のこと、他人のことは変えられない。」と書籍には書いてあった。それを経験として感じることができたと思う。
僕にとっては、やっぱり首都への思いはあるけど、今後一切縁がなかったとしても人生を肯定できるようになれそうだ。自分のいる場所をこそ、肯定していけるように。


今の気持ちを投影してしまった曲がある。


サカナクション / グッドバイ

MVにつられてそういう別離なのかと思われそうだが。そうじゃなく、僕の内的世界のこと。もうどうしようもないこと、悩んでも仕方ないことを、灯籠流しのように手放して次へ歩いてゆく。多分、すでに手放してはいたんだけど、見えなくなるのをいつまでも見送ろうとしていたんだと思う。陳腐な言い方ですまないけど。


(同じサカナクションなら、「さよならはエモーション」の方がMVも併せて好きだけど、今回の旅の感傷という点からはズれたので。でもリンクだけは貼っておく。)


サカナクション / さよならはエモーション













おまけ

身体的にも向上が見られたので羅列しておく。旅は良い。

  • 時間を決めて移動するので、計画力が身に付く。
  • 都会なので車を使わないでひたすら歩いたことでちょっと痩せた。真面目に一年分くらい歩いたと思う。
  • 視野(物理)が広くなった。目を見張るものに囲まれると入力情報を広げようとするらしい…。

追記:足が腫れてめちゃくちゃ痛くなりました(11/28)。

*1:卒業のための中間発表です。指導体制があやふやだったために就活中はネタがありませんで、就活終わった後に出されたテーマが激ムズ、当時の他の件での抑鬱状態もあり、直前になって勇気を出して、なんとかモノを仕上げた次第です。

*2:西日本在住です。就職も現地に決めたので、ついに外に出ることは叶わなかった。

*3:宝田ビルの2015年まで存在したでじこの看板のこと。もちろん直接見たことはない。