12月初旬について


故郷の母より電子の便りが届く。故郷では雪が降ったようだ。
県内では真っ先に降雪が始まり、積雪量も断トツの地域なので、冬のローカルニュースの天気にだけは、TVで地名が載るのが嬉しかった。
アナウンサーのアクセントは違っていた。山に囲まれ、雪で閉ざされた冬。まったくもって、外界から隔絶された世界。親はネットの使い方を知らない。母は音符が精いっぱいの装飾であるようだった。


脱衣ついでに、姿見の前で肉付きを確認する。1年ほど、餓鬼の戯れのようなチャチな筋トレを続けている。ここ最近、引く動作を取り入れたら、どうやら広背筋のようなものが育ち始めてきた。神経がとおりはじめ、随意に運動させると、翼を動かしている心持になる。しかし脂肪が重たくて地に僕を縛るから、腕立てで少しずつ地面を押しやっている。

 

 
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モラトリアムが終わってからのことをまじめに考えたことがない。「一年目 支出」などと調べたりして。すてきな生活雑貨とか、してみたい装いとか、会いに行きたい人に会えるほどの交通費とか。きっと、それどころじゃなく仕事をこなすのが精いっぱいで、今の悩みとか、片隅に追いやられるのだろうか。それを、世俗や浮世と呼んで、真面目に生きると、いうことなのだろうか。

高校の時の物理の先生は、「自転車は永遠に前に倒れている」といった。それが進むということの正体であるなら、とまった時に何が見えるのだろう。



新しいアカウントをつくってみた。
名前を考えるのが楽しい。アイコンを考えるのが楽しい。ヘッダーを考えるのが楽しい。ヴネアカウントを作った時もそうだった。人間関係から逃れたいという目的を当時は果たすことができた。いや、そうじゃなくて、少なからず関係に合わせて無意識に作っていたキャラクターから脱したのがすっきりしたということだろう。

辛かったら距離を置いて、また戻ってきたらいい。僕はこの頃二極思考をやめる努力をしているので、このような考えに至ることができている。
結局 満足して、作るだけで放ってある。そのうち、フォローをし始めようと思う。



去年の今頃、電気ストーブで腿を火傷し跡が残った。それさえなければきれいな脚(!!)だったかしらと思うたりする。暗闇では照明を兼ねているこのストーブはいつも赤い。赤いと明るいは同語源で…。

過去の思い出が赤方偏移により赤く光るのだとしたら、きっとストーブと同じ色だと思うと、この暖かさが感傷をいつまでも呼び起こすだろうね。



冬は、心の温かいことを知るにはよい季節。