68gstの「ブログ文法がわからない」

Twitter @68gst の延長となるブログ 長文を練習します

2018年11月18日の断片

ちょっと早く目が覚めた。なんだか安心している。

月の始め、心苦しかった本業のタスクが終わってから、心のつっかえが取れ始めた。
先週、親しい人と遊んだことも、すごく心が踊ったし落ち着いた。この金土で、長い付き合いの幾人かと飲んで、会話を重ねて、また違う考え方ができるようになった(これらは詳細まで共有しないよ、僕の中だけにある)。


今、魂が現実に定着してきてるって感じる。強迫観念のようにTwitterのTLをみなくてもよくなったし、自分のしたいことをするには手を動かさないといけないことがわかって、インプットのために時間を使いたがるようになった。

季節も、冬になったからというのがあるかもしれないね。秋は落ちていくことがものすごく心を乱すのだけど、冬は落ちきっててかえって安心する。

今朝 早起きして、ちょっと もそもそ だらりだらり して、自転車で独り外食しに行ってあまり美味しくなくて、スーパーで足りなかったものを買って、洗濯物干して、片付けて…それら一連の流れが、なんだか久しぶりで、尊くて。

ここじゃないどこかへ を希求する必要が、とりあえず今は無くなった。
実家にいたときと同じような、日曜日を過ごせた気がした。

bloodthirsty butchersの「NO ALBUM 無題」というアルバムを聴きながら少し寝落ちした。僕は、寂しがりの人で、悲しがりの人だったんだな。現実感を取り戻す中で、そう思った。落ち着いたときにそう思うのは、変かもしれないけど。優しい轟音の中で、それを思い出す。


ocean/bloodthirsty butchers




「窓の外、ベランダのむこうに、もし今まで手の届かなかったものがあるとしたら、思わず身を乗り出すだろうか、あるいは手の届かないままにするか。」
これは比喩とか意味をもたせてるのではなく、なんとなくそういうことを思った。

のう、脳 knows NO.

あかんな、と思い立った。

 

 

今の所、僕は身の回りのことが疎かになっている、目が開いているうちはぼーっとしているかもしれない。それはヤバい、と思うのだけどそれすらも目もとい意識を離した隙にどこかへ行ってしまう。

"特性"を持つ人でも上手に働けるlife hack本を数日かけて棚から引っ張り出し、ホワイトボードとかいいよって書いてあったので、ダイソーへ行って買ってきた。

そのついでに、片付けの本もあるかと思って、図書館へ行った。

最近は、メンタル系の本を借りて"理解"に奔走していたこともあり忘れていたが、ここではなんでも借りれるのだと思い出して、写真の撮り方とかデッサンの書き方とか、やりもしないのにいろいろ借りてみた。

TLには芸術ごとに造形のある人がちらほらいる。うまく表現できないけど、気高く生きていくように見える人たちがそのなかに居る。その人たちは、悪い意味での甘えがないように見える。僕もそうなりたい。アートがわかると、なんだかその辺にも近づけるような気がずっとしている。

僕は、ドラムができて、言語学に興味があって、心理学を覗いてみる、くらいしかリベラルアーツとの繋がりがない。生きている世界を、リベラルアーツを通して理解したいという思いがあって。僕はこの世界のことが何にもわからなくて、わかったらきっと楽になれるだろうなって思いがあって。ma=Fで世界(物理)に言及できるのはよくわかったけど、僕が知りたいのは世界(精神的な。人間が形作るものとして。)なんだよね。世界5分前仮説っていうけど、それはきっと後者のことで。



実態をそのままシることは簡単じゃない。だから、一側面からの視点に過ぎなくても、そこを取っ掛かりにして理解していけると思う。小学生にいきなり圏論教えないように。僕らが産まれた時は何もわからなかった、かどうかもわからないように。


僕は来年(2019年)からも人生が続くってことがよくわかんなくて、多分人生の中で一度も想像したことがない。それは死ぬって意味じゃなくて、ただ頭の中に2019年以降を担当する部署がないんだ。考えたことがないだけで、そんな深刻な意味は持ってない。最近はどうやら、何かあるのだと思い始めたけど、やっぱ観念が抜けきらなくて、せめて今年度が終わるまでにできることは全部しなくちゃって思って、そういう変な行動をしちゃうのよね。

(僕はやっぱり、限界集落なのに引きこもりをしてた事が悔しくてしょうがないんだと思う。産まれてから受け身で生きてきた事が恥ずかしくてしょうがないんだと思う。都市部の人はなんでも知ってる、知識じゃなくて自分のものにしてる。きっと自分から出かけて、楽しくあるいは有意義に過ごせるところがあったのかなと思う。僕は興味のあることをかろうじてネットでガワをなぞったり。対人でやっちゃいけないことを、自分の失敗によってではなく同じような特性であろう人が先にやらかすのを見て学んだり。そういうのを積み重ねてなんとか今の境地にたどり着けた気がする。

そういう意味で、純粋に自己の衝動で始められてある程度モノにできて自分で失敗できた、ドラムとツイッター(ヴネ)はそれなりにBe proud ofの後に続けてもいいものだと思ってる。)

ホワイトボードに、掃除とか、読む本とか書いていったら、こんなにあるの?できるかな?ってなって泣きそうになった。でも、例えば1週間の時間を与えられたら、なんでもできると思う!! だってこないだ、5ヶ月くらい悩んでたことを、心折れそうになったことを最後の1週間でなんとかしたんだもの!!

テキトーでいいんだよ。道は振り返ってみて初めて形がわかるから。

 

フリクリの季節がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(当社比)

クッソ寒いなおい!! さみしい と さむい はsam-ishi とsam-ui っていう同語根のワードだと思ってんだけど、言語学に詳しい方誰かいませんか。

ちょっとね、フリクリを思い出すことがあったので、僕なりに叙述してみました。以下どうぞ。

 

 

 

大学のサークルで、合宿の日に攻殻機動隊の話で盛り上がって仲良くなった先輩がいる。右も左もわからない頃で、ましてや自分の好きなもので話が盛り上がれる人なんて人生でそうそういなかった(今でもね)から、先輩という年の功でかっこよく見えるバンドパフォーマンスへの憧憬が重なって、そういう人間関係の作れたことを嬉しく思ったものだった。

とはいうものの、限界集落の山奥で引きこもりをやっていた人間が、急に交友関係を維持発展できるスキルを備えられないように、それはその時で終わった。ただ、その先輩は気さくな人だったから顔を合わせれば何かしら会話になった。

それからかなり時はたち、やはり攻殻の縁だったろうか、うちの窓から見える向かいの住まいから去る頃になって家に招いてくれるようになって、ブレードランナーを観たりソシャゲをやったり好きなバンドの曲をコピーしようとなったり、そういう暖かな冬が確かにあった。それは真っ直ぐに伸びる道を行き来する間の寒さでチャラになる時もあったけど。

その中で教えてくれた「フリクリ」と言うアニメ。「ガイナックスの〜」とdigした分かりやすい経緯を共有しながら、こたつでその時 呼ばれてた3人 肩を寄せて1話だけ観たのだった。 

 

 

フリクリ

このタイトルからは何をも推し量ることができない。最後までわからない。批評とかできないので語ることはできません、ネタバレにもなるし←。
ただ、ひとつ。青い僕はナオタに感情移入しっぱなしだった。観たらその気持ちがわかってもらえるかと思う。

 

(それにしても、世界観設定で謎だらけすぎるだろと思ったら、詳細なノベライズがあるのだね。でもわからないままにしておこう。わからないことが尊いことである場合もある。)

 

 

このアニメの特徴的なのはBGMとして「The pillows」というバンドの楽曲が使われていて、雰囲気作りにまた一役買っている。

 

ハイブリッドレインボウという曲がある。


ハイブリッドレインボウ/the pillows

 

その年の暮れ、やはりヒイコラ言いながら追われなければいけないことがあって(僕はその頃から件の混迷の前身に追われていたのである)、僕は昼夜問わずに独り作業をしていた。その合間に「フリクリ」を観ていたのだった。他人をあてにしちゃいけないのだろうけど、困っているときは人は助けてくれないもので。いつも孤独であることを、しかし傷つくことのない消極的な理由としながら、そういう時は天だったりそういう何かが助けてくれないかなと願ってしまう。

 


いつか僕も"飛行船に選ばれる"時が来て欲しいなと思いながら。

 

 

それもいつしかひと段落して、寒さのために辛かった向かいの家との往復が楽になる頃、その人は新天地へ転居した。その時期は僕の周りの人間関係がガラリと変わった頃だったから、なんだか寂しくて喉の奥の嗚咽を長いこと我慢しないといけなかった。春に人が狂うわけがまたひとつ、僕の辞書に登録された。

 

最近、その新作「オルタナ」「プログレ」が公開されたということで、その人と「プログレ」を見に行く話が上がったのだけど、僕がこないだの多忙混迷の中にあったこともあり叶わなかった。後日感想を訊くと、あれは別物だったなと。まぁ、その辺がプログレなんだろうね。ということで話は終わった。

 

 

  

さてさて、最後に小噺。
冒頭の通り「フリクリ」オリジナルはエヴァンゲリオンなどを製作したガイナックスによるもの。その中にはガイナックスの前身となる同人サークルが作った、「DAICON Ⅳ」のオマージュの場面がある。今年はそのDAICONを観て、自らの表現みたいなものへのモチベをあげたり、エヴァTV最終回をヘビロテして無明より脱しようと試みたりしたのだけど、それはまた別の話です。

 

どうぞ、暖かくしてお休みください。

 

仏語で発音されない語末子音は電脳空間の魁

最近、9mmを聴いていることを、もう使うことも稀なリア垢というヤツに投稿したら、中学の時9mmを紹介してくれた友達が「今更か~!!」って返事くれた。思い出してくれてありがとう。家族持ちは心構えが上だ。

 

9mmの「Discommunication」という曲のPVが好き。ローファイな画質と謎のSF風な映像が、かの大阪万博(僕の父は観に行ったらしい。今度聞いてみよう。)で喧伝されたような未来図を想起させる。一言で言うと「ウルトラセブン」の世界である。

 


9mm Parabellum Bullet - Discommunication

 

子供が好きなものには入る(と信ずる)であろうウルトラマンシリーズに限らず、僕は子供向け番組の現行放送には目もくれず、レンタルで第1作を見る子供だった。藤岡弘、が13話目で降板した理由も既に知っていた。だけど、第2作目にはなかなか手が伸びない。「ウルトラセブン」もそういう理由だったが、なんだか世界観が怖かった。平気で怪獣を切断するし。

 

ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」は、子供向けの割に今でも見入る回が多いと言われる。よく「実相寺昭雄の担当回はすごい」などと言われるが、その実相寺回のうちある回は、ゴダールの「アルファヴィル」のオマージュだそうだ。だから数年前に一度レンタルで借りて観たことがある。ゴダールのほうを。

 

僕は文化資本の貧弱な環境で育ったために、ゴダールヌーヴェルヴァーグだ…とその文化の豊かさにビビってしまい、村人が謎の尊像を拝むがごとき気持ちで観たので、かえってなにがなんだかわからなかった。フランス語って聞き取りづらいよね。あんだけ英語に影響与えた割に。しかしフランスの女優は可愛いね。あの時代はフレンチポップが流行ってたでしょう?その歌手も可愛い。しかし見分けがつかないと言うツイートを昔したことがある。最悪。

 

 

 

幼稚園の時、親の迎えが遅かった日を一度だけ覚えている。もう陽も落ちて、僕は併設された保育所施設で独りウルトラセブンを観せられていた。不思議とその時はさみしくなかった。朝、母親が僕を園に送ってから帰っていくのを、「二度と迎えに来なかったらどうしよう」と考え出して涙ぐむことのある僕であったのに。

 

 

頭がぐるぐる徒然書き

僕はもう5か月も同じタスクのことで独り頭を悩ませている。誰も助けてくれない。朝から晩までデスクに向かっても、何も成せず終わった日の多いこと。一度だけ心療内科にかかったこともある。締め切りが近づいてきた中で、ようやく光明が見えて、それでもやはり出来た出来ないで気分が毎日乱高下。締め切りを直前に控えようやく形になりそうな示しが見え、どん底からのハイの中にある。酒の入った時のように、多弁、暴言、浮遊する現実感覚。もしかしたら普段抑圧している、僕の本性なのかもしれない。表向きは大人しそうな静かな人間をやっている(tsumori)が、本当は粗暴な、手のつけられないやつなのかもしれない。うちの父は僕以外のあらゆるものに激昂するから、僕もそうかもしれないね。体力気力がないだけで。ものをズバッと言う友人くんは僕を評して「怠惰」

 

僕が好きな音楽はだいたい、父が好んでたオールディーズ、バンドを始めた頃に流行っていた邦ロック、大学の詳しい人たちが教えてくれた、それでも深度は中くらいの音楽。あとはtwitterに流れてくるような、そうでなけりゃ絶対触れることのない音楽。帰るとだいたいローテーションで、中くらいの音楽を流している。新しいものを吸収する意欲も気力もなくなった、怠惰な僕はずっと立ち止まる。

 

お前ら、くだらねぇことやってんじゃねえ、うじうじしすぎて仁義に悖ってんじゃねぇ、スカッと生きろよ。そんなことを、酒が入ると語りたがる。それで一度二度か、音楽仲間でもトラブルになった。歪みは正されたが、通常状態の僕はただただ、嫌われたことを気にもんで引きずっている。酒が嫌いなんじゃなくて、くだらない、うじうじして迷惑な、自分が嫌いなのだということを他人に投影同一視して目を背けてることに、一抹の罪の感情を実は覚えてるんじゃないのか。

 

オチが見えない、そりゃそうだ。構成を気にする頭があれば書いてない。落ち着いてきたからこの辺で。